#7 母と生について

生んでくれてありがとう、生きててよかった。

そう思ったことはあっただろうか。

 

自分は20代前半で母を亡くしている。

父も生きているが、一回心臓止まってるし生きてるのが奇跡というか、元気だけどいつ死んでもおかしくないというか。

自分は母のことが好きでよく後ろを付いて回っている子どもだった。

学校が終わってから夕飯の買い出しについて行く、っていうの大学に入るまで好きでやってたし。

でも、ああ、母も一人の人間なんだなって気付けたのは大学生になってから、つまり彼女が死ぬ少し前だった。

それまでの自分にとって母は母でしかなく、彼女は母である以前に一人の女性で、母になるまでの彼女の人生のことなど考えたことも個人的に訊いたこともなかった。

でもふとそのことに気づいてからは「母」ではなく「一人の人間」として母と接してきた。

また、何故そうだった覚えてないが同じ時期くらいに人は死ぬということをリアルに意識できるようになっていた。

そんなわけで、母も一人の人間で、いつかそう遠くない未来、亡くなるんだなと漠然とだが意識していたし覚悟して生活していた。

おはようとおやすみは絶対顔を見て言っていたし、会話はなくてもリビングでテレビを見る母を見たり、台所で料理をする母と同じ空間にいるだけでも心地よい時間だったように思う。

そう毎日頭の片隅で意識していたからか、死は突然に訪れたけどなんとなくしょうがないと思えた。

今でも無限に泣けるくらい悲しいけど。

 

さて、この記事を書こうと思ったのは、「’母になったことを後悔している’と考える女性が存在しないわけではありません」という記事を読んだから。(Yahoo!ニュースはすぐリンクが切れるので割愛)

母はどうだったのだろうか、家庭を持つことが彼女にとって最善だったのだろうか。

答えを聞けない今、そんなことを思う。

いわゆる普通の家庭だった。

家族仲はよかったし、特別貧乏であったわけではないと思う。

家族旅行で海外旅行に行ったくらいだ、裕福とまでは行かないがもしかしたら金銭面には困っていなかったのかもしれない。

幸せな家族だったよ。

姉は部活でキャプテンだったし頭も悪くない、今は家庭を持って子どももいる。

姉は最近出産し母になった、この先母として何を思うのだろう。

対して私は勉強できないわ運動できないわ、大学4年生で就活せずのらりくらりと暮らしているわ、生涯独身宣言しているわで決して出来の良い子どもではないだろう。

(姉と比べて劣等感を感じるなどということは一切ない。)

また、冒頭の質問、生きててよかったと思えたかについてはNOだ。

恵まれなかったわけではないし、愛されなかったわけではない。

人によってはそれだけで贅沢なのだろう。

でもこの生に価値を見いだせないのだ。

価値などなくていい、それは精神論で、実際には働かねばならないし社会に属して人間らしい活動をしなければならない。

しんどいことだ、何か目的がないと成せることではない。

どこかの犯罪者が言った、死ぬに勝る生きる理由がない、と。

とても共感できる。

ただ前の記事にも書いたように自分を愛してくれる人が何人もいる、死にたいと思うことは勝手だが実際に死ぬのはあまりに無責任だろう。

死んだ後もお金はかかるし、私物の処分などで残した者を困らせてしまうだろう。

ひどい言い方をすれば、自分は「死なないで、君がいなくなったら寂しい」の言葉に生かされている。

こんな考え方をする子どもは親不孝だと思う(これは自分に対しての話)。

もう少し自慢できる子どもでいてあげればよかったかな、とも思うが両親は警察沙汰以外なら好きなように生きたらいいと言っていた。

真に受けた結果がこの有様ですが、まあ悪くない人生だよ。

閑話休題、自分の話は別にいいんだ。

 

母が生きた時代は結婚=子どもがいて当たり前の時代だったのかもしれない。

好き好んで子をもうけたのだろうか、世間の目を気にしたのだろうか。

30年以上毎日毎日家事をこなし、25年近く子育てをし、10年近くも20時半に家を出てスーパーのレジ打ちのパートをし、0時過ぎに帰ってくる生活。

そんな人生は彼女にとっての幸せであったのだろうか。

好きなアーティストのCDを聞いたりライブに行ったり、本を読んだり、ドラマやアニメを見たり、そういうことをしていたのは知っているがパートと家事と母親をこなしながら楽しむ余暇などたかが知れているのでは。

もちろん瞬間的には幸せだと感じることはあったかと思うが、ああ自分は死ぬんだなと思ったその時、走馬灯があったとして彼女の人生は良いものと判断されたのだろうか。

結婚は好き好んでしたにしても、子どもがいなけばこのような趣味を最大限楽しめたのではないかと思ってしまう。

少なくとも自分は自分が大切なので、家庭を持ってまで他者に割いてやる時間などない。

 

いろんな人生があっていいと思うし、自分の価値観ではありえないと思っても相手の価値観でそれが素晴らしいものならそれでいいだろう。

一般論で誰かが口を出していい領域ではない。

彼女は彼女なりに生を全うしたと思う。

突然の死だったので悔いは大いにあっただろうし、きっと大往生ではなかった。

でも子どもから見た母は、彼女は、立派でした。

 

母が亡くなって何年か覚えていない。

正確には死んだと思いたくない自分がいる。

実は命日も覚えていないが、母が死んだ日の空をよく覚えている。

こんな不安定な天気の日は少しセンチメンタルになってもいいだろう。

 

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2022.04.22|似たような面白い記事が更新されていたので、メモとして貼る。

「『お母さんになった気分はどう?』とたずねられると、私は無理に笑顔を作ります」後悔は決して許されない、母親たちの“規制された感情” https://bunshun.jp/articles/-/53368